PROJECT 03

畜産部門

AKIRA
SUGIHARA
杉原 亮
畜産第二部 ビーフ課
1997年入社
経済学部経済学科 卒

豊かな食の提供から人々の食文化を支える。
世界の国々を巻き込んだバリューチェーン構築。

CHAPTER 01

「杉原で良かった」誠意が産んだ金言。

台湾のとあるスーパーの片隅で、目立たずにひっそりと陳列されていたアロエの缶詰。そこに、ビジネスの可能性を見出したことから、すべては始まった。1990年代後半、乳業メーカーはフルーツヨーグルトに続く、新たなヒット商品の開発に奔走していた。杉原の先輩が乳業メーカーにアロエを提案したのはまさにそんなタイミングの頃だった。

パートナー企業の協力を得て、テスト製造されたアロエヨーグルトの出来は、予想以上。トントン拍子で事業は立ち上がり、軌道に乗ったが、ここからが杉原にとって本当の挑戦となった。杉原は、アロエの輸入先であるタイの企業と合弁会社を設立し、新工場を設立することとなった。現地で作られるアロエの品質と、乳業メーカーが求めるクオリティーの間に大きな乖離が生じており、新たな工場の建設が不可欠となっていたのだ。その工場建設の過程は、タフなネゴシエーションの連続。さらに日本との商習慣の違いもあり、お互いの主張が折り合わないことが頻発。徐々に合弁先の担当者への不満が蓄積されていった。兼松のビジネスは、お互いの信頼を礎に成り立つ・・・その前提が揺らぎ、何度も「合弁を白紙に戻そう」と、大きな決断をしかけた杉原を思い留めたのは、アロエの持つ可能性・・・そこに対する絶対的な確信だった。

「自分がやらなきゃ誰がやる?この事業を途絶えさせてはダメだ」そんな想いが、杉原にどんな状況でも誠意を持ってビジネスに取り組む覚悟をもたらした。そして、「この事業には、あなたたちが必要だ」・・・そんな熱意を、相手に伝え続けた結果、事態は徐々に好転し始めた。最終的に、兼松が主導して工場建設を一からサポート。工場を作るノウハウなどない杉原が建設に携わった新工場は新たな事業基盤となり、今現在も続くビジネスへと結実している。「パートナーが杉原で良かった・・・そう言ってもらった時の感動は、今でも忘れられません」
杉原がその後の商売創りで最も大切にする「誠意」を培う経験となった。

CHAPTER 02

サプライヤーを魅了する商流の創出。

アロエ事業を軌道にのせた後、杉原は経営について体系的にしっかりと学びたいという想いが強くなり、留学を決意。休職してMBAを取得する。復職後は企画部や食糧・食品統括室といった、キャリアを歩み、2017年12月、畜産第二部ビーフ課へ異動。ここで杉原が託されたのは、新たなビジネスの創出だった。

畜産部が取り扱うのは、主に豚・鶏・牛の肉。貿易を通じてこれら動物性タンパクを安定的に確保し、日本の豊かな食文化を支えることが部門としてのミッションだ。杉原が属するビーフ課では、スーパーなどの小売業界や飲食店などの外食産業向けに、チルドビーフと呼ばれる冷蔵牛肉を卸しているが、そのシェア率は日本トップクラス。しかし、国内マーケットの先行きは人口減はじめ、様々な理由から明るいとは言えなかった。「向かうべきは世界。新たなサプライヤーを開拓し、新たなマーケットで売る、言わば新たな商流づくりが、私のミッションでした」

牛肉は適した気候である北米や南米、豪州といった国々に大きな産地は限られており、世界全体の供給量は概ね一定。そんな状況下で、需要を拡大し続けてきたのが中国。当然サプライヤーは大量の肉を購入し、販売できる企業とパートナーシップを組む。「日本向けの限定された輸入量では、中国に太刀打ちできません。そういった状況を打開する一手として、中国向けのビーフ原料の三国間取引を始め、また、中国の大連に畜肉加工場を設立し、サプライチェーンを創り上げ、販路構築を行いました。」
中国では成長ホルモンを使った牛肉の輸入が禁止されており、アメリカからの輸入が制限されていた。そうした中国国内に生じる輸入制限と畜産品需要拡大のギャップに目をつけ、輸入可能なサプライヤーを開拓。並行して、卸し先である日系外食チェーン店のアジア進出を、ビーフ原料の供給で後押しして行った。中国をはじめとするアジア諸国への販路拡大を受けて、杉原を中心とした兼松ビーフ課のプレゼンスが世界各国のサプライヤーの中で、徐々に高まり始めていた。

CHAPTER 03

最後のフロンティアを掴むために。

2000年から19年間、口蹄疫によって閉ざされたウルグアイから日本への牛肉輸入。兼松ビーフ課はその扉が再び開くチャンスを虎視淡々とうかがっていた。ウルグアイ産の牛肉は良質な牧草で肥育された牛が多く、広大な農地で丁寧に育てられるため、業界内における肉質の良さはもはや常識。兼松にとって最後のフロンティアとも呼べるエリアだった。しかし、兼松の当時の輸入先はアメリカとオーストラリアが大半を占めており、南米とのつながりはほぼなかった。

「ローラー作戦です。畜産家や畜産企業のリストアップをし、地道にコンタクトを取り続ける日々。ただ、ウルグアイのサプライヤーからすれば、日本は20年も輸出していないマーケットであり、消費量・購買量においてもそこまで魅力的には映りません。門前払いを食らうことも少なくありませんでした」

しかしながら、ウルグアイの牛肉は必ず日本の食卓を豊かにするという「確信」が、杉原たちを動かし続けた。そして、アロエ事業を手掛けた頃からの彼の流儀である「誠意」が、今回もまた、サプライヤーを動かす。市場規模の大きい中国への輸出提案がサプライヤーからの注目を集め、2017年、中国とウルグアイを結ぶ三国間取引へとこぎつけた。この三国間取引を通して、バイヤーとしての信頼関係構築に勤しむ。そして迎えた2019年2月、ウルグアイから日本向けの牛肉輸入が解禁。かねてからの三国間取引での実績と信頼も購買力を伝える手助けとなり、結果的にウルグアイ3社との協業体制が構築された。2020年5月にはそのうち1社への資本参加が決まり、日本市場への安定的な供給基盤の確保に繋がった。ここに、杉原のミッションであった、新たな商流づくりが達成されたのである。

ウルグアイの牧場
CHAPTER 04

目指すはアジアNo.1のビーフチーム。

輸出先・輸入先確保によって、杉原を中心としたビーフ課は世界を相手に確実に進歩を続けている。そして、彼らは「アジアNo. 1のビーフチームをつくる」という志を掲げ、新たな構想のもと、ビジネスに取り組んでいる。まず、兼松の主要輸入先であるアメリカの企業に資本参加することで、アメリカ産牛肉の輸入を安定させ、確固たるビジネス基盤を築くこと。次に、中国で立ち上げた畜肉のサプライチェーンを、年間売上数百億円規模を誇る日本国内事業に比するビジネスへと育て上げること。そして、輸出先・輸入先の橋渡し役として、さらに市場を拡大させること。

「自分にしかできない、兼松にしかできない戦い方で、世界各国と競い合いながら、人々を笑顔にできる食文化を国内外にもたらしたい・・・そのためには、サプライヤーをはじめとするビジネスパートナーの存在が不可欠です。だからこそ、誠意を常に胸に留めるようにしています。兼松のビジネスは、人と人が成すものですから」

「合弁事業立ち上げ時のパートナー間協議では、総論賛成各論反対といった議論がしばしば起こる」と杉原は続ける。しかし、そんな時こそ、相手が納得できるまで、議論を続ける根気や熱意が問われるのだという。そして、兼松の利益だけでなく、パートナーの利益までを考慮した「WIN-WIN」の考え方で交渉を行うよう自分に課している。その根底にあるのが誠意だ。そうやって杉原は、何度もプロジェクトを成功に導いてきた。そして、これからも。

ウルグアイビーフ
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