
兼松が123年もの伝統のある会社であることはご存じでしたか。
近代の貿易経済の成長と共に、次々と新しいビジネスを創造し続けた商社「兼松」の存在。
創業者・兼松房治郎は自ら日本の近代化を推進すべく、大阪商船会社(現商船三井)の設立に参加、また大阪毎日新聞(現毎日新聞)を興すなど、高い志と行動力で「貿易立国日本」の礎を築いた起業家でした。
明治維新後、日本の近代化が進んでいた頃、当時関西実業界のリーダー的存在として幅広く活躍していた兼松房治郎は、日本の貿易にある疑問を抱いていました。
『日本の繁栄には貿易の振興が不可欠であるのに、現状はその90%が外国商館で独占されている。本来この商権は我々が握るべきなのでは…』 そんな房治郎が注目したのがオーストラリアとの羊毛貿易。欧米文化が普及する中、毛織物需要も伸びているにも関わらず、日本人が直接海外から羊毛を輸入する事業はまだありませんでした。房治郎はこの初めての日本人の手による羊毛直輸入に、自ら飛び込んだのでした。
1889年(明治22年)、『貿易商権を日本人の手に』の理想のもと、独力で『豪州貿易兼松房治郎商店』を開業、翌年にはオーストラリア・シドニーに支店を開設し、我が国初の日豪直貿易を成し遂げました。当時、財界友人の殆どが、実業家としての基盤も名誉も捨て、私財をなげうって挑んだこの挑戦を危険視し『兼松君狂せり』と憂う者もありました。その後大恐慌など多くの困難にも直面しましたが、『日豪貿易を断絶させることは何としても避けねばならない』と奔走する房治郎の熱意が周囲を動かし、兼松商店は活路を見出してきました。
房治郎の没後もその遺志は引き継がれ、社会貢献事業として神戸大学に兼松記念館、一橋大学に兼松講堂、そしてオーストラリアのシドニー病院には兼松病理学研究所が寄贈されました。房治郎は日豪貿易の基礎を確立しただけでなく社会的にも大きな功績を残したのです。

戦後の日本経済の復興と発展は貿易との関連抜きに語ることはできません。天然資源の乏しい日本にとって生産技術の導入や海外資源の獲得も、工業製品の輸出で稼ぎ出す外貨がなくてはかないませんでした。敗戦直後は財閥解体の命令を受け財閥系商社を中心に分社化を余儀なくされましたが、1950年以降は再び群小商社の統合が進められました。
1967年、兼松は、1891年北川与平により創業されいわゆる「関西五綿」の一社として知られる有力商社「江商」と合併、兼松江商(KANEMATSU GOSHO)株式会社として新たな発展の時代に入りました。ちなみに、現在使われている兼松の略称『KG』は、この社名の名残です。その後、戦後の日本経済の高度成長および産業構造の転換に対応して、繊維主体から脱皮。海外現地法人・関係会社の新設或いは増強といった商社の企業基盤の強化、取扱商品の多様化など、繊維や石炭の『貿易商社』から『総合商社』へと地位を着実に固めていきました。
1960年代以降、「商社斜陽論」「商社冬の時代」という言葉に象徴されるように、兼松の発展の歴史も順風満帆なものではありませんでした。前者は60年代にメーカーが独自の海外販売網を持つことで問屋排除が進むのではと危惧されたこと。後者は80年代に原料品市場の停滞や重厚長大から軽薄短小の時代への対応の遅れなどにより、商社の低利益が露わになったことです。しかし、これらの経緯はかえって商社業界全体をより柔軟にアグレッシブに変化させる契機となりました。
東西冷戦の終焉後、世界は『情報化』と『グローバリゼーション』をキーワードに大きく変化しました。バブル崩壊後の日本経済は、『失われた90年代』ともいわれるように、この変化にうまく対応できませんでした。1990年、兼松江商株式会社から兼松株式会社に社名を変更し、東京本社を現在の芝浦シーバンスに移転した当社にとっても、収益が思うように伸びない苦しい時代でした。

1999年5月、日本経済を巡る大きな環境変化の中、兼松は収益力の向上および財務体質の強化を柱とした『構造改革』を実施。兼松の強みが発揮できる得意分野の電子・IT、食品、食糧、鉄鋼、機械・プラント、環境・素材の分野へ経営資源を集中させました。それが実を結び、強固な経営基盤の確立と、収益性の高い営業基盤の拡大に繋がり、『兼松モデル』と称されるように復活を遂げたのです。
そして、今年2010年度からは新中期経営計画『S-project』がスタート。単純なファイナンス取引や投機的取引は回避し、実業の裏づけがある取引に注力。今まで兼松とともに歩みを共にしてきたお客様とともに既存商権の強化を推進し、また、開発・提案型のビジネスをより積極的に展開することで、誰もがまだ手をつけてこなかった分野を開拓し新規ビジネスの創出を図る「事業創造集団」を目指すことを決めました。
かつて房治郎が遠く豪州へ渡り、初めて日本人による日豪貿易の道を切り拓いたように、今兼松にも開拓者としての気概を忘れず、時代を先取りして新たなビジネスを創造している社員がたくさんいます。そうした精神、実践力こそが兼松のDNAと言えるのではないでしょうか。
伝統的開拓者精神を持った事業創造集団として。兼松はさらなる機能強化を図り「攻め」の経営を一段と加速していきます。









